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あなたがあなたであり、私が私であることについての考察

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 何か身近な検索機能を思い浮かべてみてほしい。googleでもyahooでも構わないし、図書館やTSUTAYAで借りたいものを探す時に使うタッチパネル操作の検索エンジンでもいい。自分が探しているものに関する名前や住所といった確信的な情報を持っていないときに有効なのが、そういったツールを用いた「キーワード検索」だと思う。わたしにとっての「自分らしさ」あるいは「アイデンティティ」といったものはまさにそういうイメージを持つ。謎ですか。説明しましょう。

 例えば「りんご」と言う名前を用いずにその物を特定するためには、りんごを構成する要素を並べていくのが手っ取り早い。「赤」くて「丸い」もの。これが一番一般的な要素のはず。でも赤くて丸いだけなら、それはトマトかもしれないし、さくらんぼかもしれないし、マンゴーだって皮は赤いし、そもそも食べものであるという指定がない。ただの屁理屈に聞こえるかもしれないけど、りんごはただ赤くて丸いことに、そのアイデンティティを持つわけじゃないじゃない。りんごは「甘い」し「密」がたっぷり入っていると特別おいしいし「木になる実」であると述べるべきだし「たまに緑」だってことも忘れちゃいけない。

 さてこの人は何が言いたいんだろうね。どんだけりんごが好きなんだってね。言わせてもらうけど果物で一番おいしいのは桃で間違いない。異論は受け付ける。

 つまり何が言いたいって、わたしは「赤」もしくは「丸い」しか出てこないような人間にはなりたくないってことだ。わたしはそんな簡単な要素で特定されるような薄っぺらい人間になんてなりたくないってことだ。「赤」いことや「丸い」ことが悪いことだってことじゃない。むしろそういう誰もがわかるような要素を含んでいることは自分をよりはっきりと示すときに強力な武器になる。わたしが好きなものを例に出して説明しよう。

 「ハリー・ポッター」と「ロードオブザリング」はどちらも同時期に公開されたシリーズもののファンタジー映画で、どちらも小説が原作となっていて、どちらも世界的な大ヒットを記録した。そのため、その両方のファンであるという人はきっと少なくない。同じように「NARUTO」と「ONE PIECE」はどちらもジャンプで連載されている(いた)(いや、いる)漫画でこちらも同じく海外でも人気を博した少年漫画で、ジャンプの読者ならそのどちらかしか知らないことはまずあり得ない。この場合「赤」が「ハリー・ポッター」と「ロードオブザリング」であり、「丸い」のが「NARUTO」と「ONE PIECE」だと言えば少しずつわたしの話の概要が見えてくるのではないだろうか。つまりどちらもグループも誰もが知っている一般的なものであり、そのグループの内、片方が好きなら片方も知っているだろう、という繋がりがある。しかしgoogleで「ハリー・ポッター ロードオブザリング」または「NARUTO ONE PIECE」で検索すれば何万件もヒットしてしまうだろうし、それじゃあダメなんだ。でもこの4つを一気にかけたらどうだろう。この4作品を同じとき、同じ心で愛している人。きっと格段にヒット数が減るだろう。だがこの時点では、まだわたしは「赤」くて「丸い」だけだし、それじゃあ、まだまだ、ダメなんだよ。もうわかるね。

 わたしが他の誰でもない、わたしであるためには、もっともっとたくさんの要素が必要だし、もし全く同じ要素で構成されている人がいたとしても、その人とさえ間違えられない自分でいるためには、一つ一つの要素を丁寧に丁寧に掘り下げていく必要がある。わたしはヴォルデモート誕生の秘話を知っているし、ニワトコの杖にまつわる話の結末が映画と小説でどう違うかも説明できる。レゴラスにはタウリエルという大事な女性がいたことも、灰色のガンダルフがのちに白い魔法使いになることも。イルカ先生はがナルトを庇って大手裏剣を背中に受けるときの涙も知ってるし、ローの本名はトラファルガー・D・ワーテルローだし、コラソンは喋れる。それだけじゃない。政治、経済関する知識、時事問題の把握状況、自分の好きな作家、監督、脚本家、カメラマン、女優、モデル、歌手 ... その組み合わせは多種多様できっと世界で自分だけのカスタマイズを作ることは存分に可能であるはずだ。でもその状況に満足せず、常に新しい要素を求め、いついかなる時も自分が自分であり、人と交わりながらも、確かに唯一の存在であるためには、みんなの知っている大きな円をできるだけたくさん共有しながら、自分の立つ範囲をどんどん濃くしていく必要がある。そうしていくことで、あなたは誰よりもあなたらしく、それでいて様々な世界に属しているということになる。

 誰か素敵だな、この人は自分の世界観を確立しているな、と思ったら少し離れてその人に足りない分野を(皮肉っぽく)探してみるといい。「この人はいつも素敵な服を着ているし、メイクも丁寧で品がある。」なら、料理はできる?「いや、どうだろう ...いつもジェルネイルしてるし ...」どんな本を読む?「確か本は苦手だと...」選挙には行ってる?「確かその日は友達と遊んでた」それに気づいてしまったら、あなたはそのすべてを網羅していかなければならない。可愛いだけじゃ、頭がいいだけじゃ、社交的なだけじゃだめなんだ。可愛くて、頭が良くて、社交的で、それでいて、まだまだもっと素敵なところがある人を目指すべきだ。と、少なくとも私は、そう思うし、少なくともわたしにとっては、それこそが「自分らしさ」で「アイデンティティ」であるということだ。個性的になるために、人類がまだ名前を持たない色を探す必要などない。「赤」でいい。「青」でいい。新しい図形を発明する必要も、変わった味をしている必要もない。「丸い」「甘い」それでいい。ただできるだけ細かく、深く、それはどんな赤なのか、どんなに美しい赤なのか、もしかしたら白が混ざったクリーミーな色かもしれないし、ぱきっとした赤かもしれないし、「紅」と綴ることにこだわるのも良い。大事なのはその組み合わせであり、そのものの特異性ではない。今この世にあるものだけで、あなたは誰よりもあなたになれる。

 

 

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